鶉(うずら)小城(群馬県邑楽町鶉新町)

 鶉小城は多々良沼に西側から突き出した岬上にあり、現在多々良沼公園となっている。「多々良」とは鍛冶場のことで、昔、この辺りで刀鍛冶が盛んであったらしい。
 鳥瞰図は東南上空から見たものである。岬の基部に当たるところに、高さ2m余りの土塁があるが、形状は大分不明確になっている。堀も痕跡程度にしか認められない。「城郭体系」の解説では単郭城となっているが、この土塁の部分から先端までは300m近くある。これだけ規模の大きな単郭ということもないと思うので、もともとは間にいくつか仕切りがあった複郭だったのではないかと思われる。しかし、どの部分がそうだったのかはよく分からない。ただ、現状で図のようにL字型に水路が走っており、これがかつての郭の形状を示しているのかもしれない。また、北側には堀が明確に残っている。幅7,8mほどの水堀で、その外側は犬走りのような空間となっていたようだ。(ただし、これは公園化によって生じたものである可能性もある。)
 先端には弁財天が祭られている。これがまるで浮島のようになっているのだが、城が存在していた時からこれと同じ形状であったのかどうかは不明である。
 鶉小城は、「城郭体系」によると天正12年の北条氏による館林城攻撃の際には小曾根玄蕃充が守っていたという。つまり館林城の長尾氏に属した城であったらしい。当時、長尾氏の有力家臣の持ち城であったのであろう。館林領が北条氏の手に落ちて以降の城の歴史についてはよく分からない。




 城外とを隔てる土塁。大分変形しているらしく、斜面はとても緩やかになっている。土塁基部の幅はかなりあるが、高さは現状では2m未満である。外側の堀もあらかた埋まってしまっていて、痕跡程度にしか見えない。
 しかしこれが最も遺構らしく見える部分である。この中央辺りに階段が設けられ内部に入れるようになっている。
















 土塁南側の切れた部分。こちらが本来の虎口であろうか。この内側に古墳が1つあるが、見ようによっては、これを利用して内枡形が造られていたかのようにも思える。
 この城でちゃんとした土塁はこれ1本だけである。城の側面には土塁も何も、防御施設が一切残っていない。これはどういうことなのであろう。沼の持つ天然の要害性だけに頼って、側面の防備の必要はないと思ったのであろうか。













 先端部とを区画する堀の跡(だと思う)。現状では水路になってしまっている。幅が1.5mほどしかないのが気になるところだ。















 城址先端のさらに先に浮島のようになっている弁才天。先までは幅1mほどの細い道が続いている。出丸のような場所である。















 弁財天の方から城内を見てみた。まさに沼に浮かぶ嶋のような地形であった。側面には葦が今も大量に生い茂っている。
















 城址北側にある堀。これは旧態をそのまま残しているようにみえるのであるが・・・・。













 鶉小城は完全に普通の公園となってしまっている。いわゆる城らしい遺構はあからさまには見えない。もともとそれほどの人工構築物はなかったものか、それとも後世に取り払われてしまったものかははっきりしない。ただ、この地域では意外とこのような湖沼に突き出した水城は珍しく、館林城と鶉小城の2城くらいであった。


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