宇都宮城(宇都宮市本丸)

 宇都宮城は関東を代表する城の1つでありながら、戊辰戦争で炎上、そしてその後の都市開発の中で、徹底的に破壊され、現在では市街地の中にほぼ完全に埋没してしまった。それでも本丸の一部は宇都宮城址公園としてかろうじて残っている。

 しかし、宇都宮城模擬天守の項でも書いている通りに、この間のやり取りで、この城には特別な思い入れがある。今度、町興しで城が復元されるらしいが、それに先立って復元鳥瞰を試みてみることにした。鳥瞰図は東側の田川上空辺りから城の中心部を俯瞰してみたものである。(03.7.17)

 復元に当たっては、戸田家所蔵の「宇都宮城絵図」を元にした。戸田家は安永年間から明治に至るまで宇都宮藩8万石の藩主であった。かなり幕末に近い時期の絵図ではあるが、本田正純の頃とそう改変はされていないと思われる。

 元にした絵図はカラーで2m四方ほどの大きさのものであるらしいが、私の持っているのは白黒で20cmほどに縮小されたものである。したがって、細かい所をよく見ることができなかったのだが、町割りに関しては、ほぼ絵図の通りにしてみた。何しろこれだけの範囲をA4一枚で描くのはかなり困難だったので不正確な所もあるのは否めない。

 これだけの有名な城であるから、御三階櫓(天守)があってもよさそうに思えるのだが、絵図には二重櫓しか描かれていない。二重櫓は本丸に5基、二の丸に3基あった。また、それぞれの門には内枡形が形成されていた。特に表門には外枡形もあり、そのさらに外側には三日月堀があって、かなり厳重な造りになっていた。枡形は石垣によって形成されていた可能性もあるが、絵図で見る限りは土塁構造のように描かれている。

 主要な門は櫓門になっていたらしいのであるが、「絵図」を見ても小さすぎてどこが櫓門なのか確認できなかった。それゆえはっきり描くことはできなかった。また、要所要所には関東地方の城にしては珍しく石垣が用いられていたという。本田正純が改易となった原因もこの石垣構造を無許可で建造したことにあるらしいのだが、これもはっきりとは分からない。ただ「絵図」では、二の丸東側の「石垣」とある部分だけははっきりと石垣らしく描かれている。

 この後宇都宮城がどのように再現されるのか、楽しみにしているのであるが、一度破壊した城を、公園化する際に、さらに本来の土塁を削って近代的な石垣にしたり、リアリティのない堀を造ったりした宇都宮市である。完全な平成の築城となってしまうのではないかと危惧してもいる。失われたものを復元するということは、名目は復元でも、結局はただの想像になってしまうのかもしれない。

 その後、本丸の一部が復元されたので行ってみた。なお駐車場は城址公園に隣接する西側にある。休日は無料で停められるようだが、そのせいか、ちょっと混んでいて、入場するのに若干の時間がかかった。

本丸西側の城塁。ありえないほど高く鋭い土塁である。写真は富士見櫓。 同じく西側城塁の北部分。土塁といってもこれだけ高ければ、ちょっと登ることはできそうにない。清明台の屋根が、ちょっとだけ見えている。
土塁内部に無料の資料館があり、そこに復元模型が展示されている。復元されているのは、この模型の左端の部分である。 本丸内部から見た清明台。どうみても櫓形状なのだが、なぜ、こちらの櫓は〇〇櫓と呼ばずに「清明台」と呼んでいるのだろうか。不思議だ。
本丸内部。富士見櫓の方を見たところ。 清明台を近くから見てみた。
清明台内部。2階は第3日曜日にしか公開されていないらしい。 西側土塁上に復元された土塀の内側、矢狭間と鉄砲狭間があちこちに開けられている。
富士見櫓の内部。 富士見櫓を近くから見てみた。
富士見櫓前から本丸内部を見たところ。 堀の外側から見た清明台。
再び、本丸西側の城塁と水堀。 富士見櫓。


 

































大竹屋旅館

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