田向城(小池城・山武郡芝山町田向)

 田向城は完全に破壊されてしまったが、旧状を偲ぶべく、残された図面を基にした鳥瞰図を描いてみた。しかしかなり複雑な縄張りをしているので、どうもうまく再現できない。しかも、ここは遺構があるうちに訪れて実際に見たことがないので、図面だけが資料の、ほとんど想像城の産物である。しかし、そういう城こそ、鳥瞰図を残しておく必要があると思い、HPに掲載する次第である。
























 田向城は、田向地区にあり、地元の人も田向城と呼んでいるが、小池地区にもまたがっており、小池城とも呼ばれたらしい。「総州山室譜伝記」に井田氏が北条氏より上総小池村を賜り「同村田向と云処に少の城を御普請有て」とあるのはこの城のことであろう。つまり井田氏の出発点になった城であるというわけだ。ここを拠点として、大台城を築いた井田氏は、三谷氏を滅ぼして坂田城を奪い、この地域での勢力を拡大していくことになる。「山室譜伝記」ではさらに、7年かけて坂田城を大改修した井田氏は「小池、大台、坂田三ヶ城二万五千石を領す」とある。この小池城は先の田向城のことと思われ、それはすなわちここのことであろう。築かれた当初の田向城は小規模な居館であったと思われるが、坂田城などの改修と合わせて改造されていったとおもわれる。発掘調査報告書に見られる縄張りは技巧的なもので、戦国末期に工事が行われたものと見られるからである。

 面足神社のすぐ東側から谷に下る道があるが、ここを下っていくとすぐに正面に見える山が城址である。この道をさらに進み、突き当たった所を左に曲がってすぐに、山の方に上がっていく道が見える。車が通っていないように見える道だが、ここから車で上がっていくことができる。すると途中に虎口のような部分が見える。ここから歩いていくと、途中に城の中心につながると思われる土橋状の長い道がある。右側には土橋と平行して空堀が掘られている。珍しい遺構である。この先が城内という感じになっているのだが、その先はすっかり山が削られてしまっているのであった。

 台地上の遺構の主要部分は10年ほど以前に、ゴルフ場を建設するために土砂を取られ、壊滅してしまったという。その後バブル崩壊のためか、ゴルフ場の建設は一向に進まず、放って置かれたままになっている。地元の人の話によると、かつての田向城は、台地上を堀や土塁で区画し、三郭から四郭ほどが認められたという。連郭式といってよいが、どちらかというと坂田城や津辺城と似た構造をしていたらしい。発掘調査報告書によると、城の中心に多角雑形の2つの郭があった。郭の周囲には土塁が囲み、間に空堀を置き、土橋で結んでいた。これを中心として、先ほどの土橋の先にあったと思われる3郭、4郭や、何段にもわたる腰曲輪が置かれ、防備を固めていた。現在、中心部分はただの荒地になっている。どうも10m位の高さの部分をそっくり削ってしまったようだ。しかし、周辺部にはわずかに遺構が残ってはいる。だが、全体としてはただ痛々しいばかりの状況である。
 

























大竹屋旅館

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