菖蒲城(埼玉県菖蒲町新堀)

 県道12号線沿いの、早川と野道川に囲まれた部分に「あやめ園」がある。ここが菖蒲城跡である。地名を新堀といい、すぐ脇に殿廻堀が流れ、そこにかかる橋を城橋といい、いかにも城らしさを感じさせている。しかし、遺構らしきものはなーんにもない。沼沢地に浮かぶ単郭の城だったのではないかと想像されるのであるが、ただただ菖蒲が生えているだけである。それにしても、菖蒲町という名称といい、菖蒲城という名前といい、なんだかとても風情だけはある。かつてこの辺りは天然の菖蒲がたくさん生えていた沼沢地であったのであろう。そのど真ん中に築いたので「菖蒲城」とはよく言ったものである。

 「城郭体系」を見ると、周囲より40cmほど高い畑が残っていると書いてあるが、現状は写真の通り。菖蒲の真ん中に城址碑と休憩所があるだけ。休憩所では近所のおじさんが昼寝をしている。県道工事や耕地整理で一帯が削平されてしまったために、遺構は消滅したという。

 菖蒲城は古河公方成氏が、康正2年、金田式部則綱に命じて築かせた城であったという。県道工事の土取りの際には、かなり多きな板碑が20基ほど出土しており、かなり古い時代から居館が営まれていた所であったと考えられるということである。
 






 あやめ園の入口にはいわくありそうな門がある。何でも、内藤氏の陣屋の門であったという。天正18年、徳川家康が関東に入部した際、内藤四郎左衛門正成は5000石を拝領してこの地に陣屋を構えた。内藤氏の陣屋は菖蒲町下栢間の台地上にあったという。

















 





















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