大椎城(千葉市緑区大椎町)

 大椎城を鳥瞰してみた。沼沢地に突き出した比高30mほどの舌状台地で、連郭式に4郭ほどが残されている。戦国期には土気城酒井氏の支城であったと想像され、土気城との間にいくつもの砦を置いて連絡を密にしていた。

 まず、谷を挟んですぐ北西側には、城主の隠居城であったと伝承される立山城がある。

 北側には、御堂前、後台、大谷の3砦、さらに2.6kmの所に酒井氏の本城、土気城があった。

 大椎城の歴史について、かつてはその創立は古く、平安中期に平忠常が築き、大治元年(1126)、千葉城に移るまで、千葉氏の本城だったと言われていた。平安時代からこのような台地上に城が作られたかどうかは現在は疑問視されている。少なくとも現在見られる遺構は戦国期のものと思われる。

 城址は現在私有地になっており、麓の林さんと言う家にことわって、裏山道を登ると、一の堀に到達し、ここに千葉県教育委員会の建てた「大椎城祉」の碑が建っている。一の堀から東に二の堀、三の堀と続き、城址のほとんどは山林となっているが遺構は良く保存されている。 













 西側の立山城から、大椎城を遠望したところ。


















御堂前砦、大谷砦、後台砦

 この3つの砦はいずれも大椎城の出城であったと言われている。しかし住宅地の造成のために3城とも現在は跡形もなく消失してしまっている。したがってどのような構造を持った城郭であったのかは今となっては知るすべもない。

 御堂前砦は、大椎城の北500mの位置、創造の杜公園のすぐ南側の辺りにあった。立山城からも東北に400mと近い位置にある。

 大谷砦は、御堂前砦の東北500mほどの位置、創造の杜公園と土気南中学校の間の道路の信号機の辺りにあった。あすみが丘4丁目と5丁目の間辺りである。

 後台砦は、あすみが丘6丁目、ふれあいの広場公園とあすみが丘小学校のある辺りのすぐ西側にあった。その名の示す通り、大椎城のすぐ後ろを守るような位置である。大椎城の東北300mのところである。



























大竹屋旅館

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